表通りに出て南口のロータリーまで歩いた。もったいないとは思ったが、ロータリーでタクシーに乗り、八時過ぎには帰宅した。

「美枝ちゃん、遅れるなら連絡して」

帰るなり姉は不機嫌そうに言った。父は遅くなってしまった夕食を済ませた後出かけたらしかった。姉は食器を洗いながら「食べるなら残ってるから自分でしなさい」と命令した。そして「美枝ちゃんはいつも勝手なんだから。ルールを守れないなら一緒に暮らせないよ」と付け足した。少し浮かれた気分がかき消され、私は実家に戻って以来初めてあからさまに姉に反抗した。

「そんなこと言わなくてもいいじゃない!連絡しなかったのは悪かったけど」

「今夜は美枝ちゃんが夕食当番だよ」

「だから謝ってるでしょ!」

そう言うと、我慢していた感情が一気に口を突いて出てしまった。

「お姉ちゃん、隆司と付き合っているんだって?」

姉は一瞬驚いて、洗い物の手が止まり目を見開いた。

「どういう神経してるの?私が隆司と付き合ってたの、知ってるでしょう!」

「だから何なの?」

「だからって・・・・・隆司にお母さんのこと言わないでよ!」

「カレなんだから、言うの当然でしょ!」

「カレって不倫でしょ!」

「だから?」

「どうして隆司なんかと・・・・・ねぇ、ちゃんと聞かせて!」

私は姉を問い詰めた。姉は片付けを中断し、手を拭うと二階へ上がって行った。

「逃げないでよ!」

私は姉を追った。

 姉と私は年子だった。姉は高校を卒業し地元の中小企業に就職して、三十年近く勤めていた。そんな姉から見れば私は気ままな妹なのだろう。就職して三年あまりでコールセンターの勤めを辞め、六年間派遣社員としてあちこちの企業で働き、運よく派遣先の住宅会社で正社員になり、そして隆司とのスキャンダルで辞めた。その後、典子の紹介で隣市の新興企業に望外な給与で十年間勤め、三年目からは家を出てさっさと一人暮らしを始めてしまう。勤め先が倒産すると実家に戻りまた派遣で気楽に勤める・・・・・。そんな妹に身勝手という感情を抱くのは当然のことだろう。まして私が家を出た頃から母が変調をきたし始め、鬱病とはっきり診断されてからは重苦しい雰囲気の中で、ずっと耐えて暮さねばならなかったのだから。

私は姉からカレの話を一度も聞いたことがない。四十六にもなって、浮いた話の一つや二つ無いほうがどうかしてるし、結婚を意識した付き合いだってあったはずだ。けれどもそういう話を姉は一切しなかった。普通なら年頃の娘が二人もいれば、恋人を両親に紹介するとか、結婚の話とかあるだろう。これどもこの家には一切そういう話題は無かったし、なぜかざっくばらんに話せる雰囲気でもなかった。私も、確かに隆司との結婚を意識したこともあった。あのモデルルームでのことが噂になって会社を辞めた時、すべてに終止符が打ちたくて隆司と別れた。隆司の日頃の身勝手な振る舞いは許せても、あの一件のとき守ってくれなかったことが、私にはショックだった。隆司には・・・・・、愛情とまではいかなくても、優しさの欠片くらいはあると信じていたけど、結局のところ私は、隆司のセックスの対象でしかなかった。私の縋るような思いを断ち切ったのは隆司だったし、私は隆司から父親になる資格をはく奪した。

 

 私は姉の部屋に入るや否や問い詰めた。

「どうして隆司なんかと・・・・・ねぇ、いつから?」

「三年くらい前からよ。会社の忘年会のとき偶然会って」

「・・・・・」

「その時、カラオケに誘われて、ちょっと酔ってて・・・・・」

「酔っててってなにそれ!じゃ偶然に会ったその日にってこと?」

「そう言う言い方やめてよ!気分悪いわ」

「気分悪いのはこっちよ!」

私は姉を詰った。

「お姉ちゃんてそういう人だったの!」

「やめて!その言い方」

「だってそうじゃない!いい歳してみっともないよ!惨めだよ!」

姉の目に涙がにじみ出た。私には姉の泣き顔の記憶さえなかった。

「強引だったし、どうにもならなかったし」

「・・・・・」

「私だって後悔しないはずないでしょ!」

泣き叫ぶような姉の言葉で私は引き下がった。

「初めてだったのよ・・・・・」

「・・・・・」

姉はベッドに顔を埋め、絞り出すように言いい、そんな姉を前にして私は、モデルルームでのことを思い出していた。

「ねぇお姉ちゃん、お母さんは知ってるの?」

「言ってない」

「別れなよ、あんな奴とは」

「・・・・・」

「奥さも子供もいるんだよ。不倫なんだよ」

「・・・・・」

「辛くなるよ、私のように・・・・・」

「美枝ちゃん、ごめん、出来ないよ」

姉はすでに辛い覚悟ができているような、はっきりとした口調でそう言った。

 

 その晩、父の帰宅は深夜だった。父は父なりに母の行方を捜しているのだ、と思った。降りていって声をかけようか迷ったが、姉とのことで気力がなかったし、何よりも隆司が許せない気持ちに満たされていた。姉の話がいつまでも尾を引いて時間とともに隆司への憎悪が膨らむ。姉と付き合っていて、なお平然と私にメールしてきて呼びだすその神経に無性に腹が立つ。しかも、私に向かって姉と付き合ってることを打ち明けるというのはどういう意味なんだろう?中年にさしかかった未婚の姉妹を弄んでいる?それとも私を虐めて楽しんでいる?思い出したくはないが、隆司にはアブノーマルな気質があった。私がそうしたように、姉も別れるべきだとその時確信した。

 明け方まで寝付けず、つかの間の浅い睡眠のあと、ぼやけた気分でなんとか身支度を整え、朝食の支度をした。父に声をかけたが起きてこなかった。姉はトーストを二口齧り珈琲をすすると「時間ないのでお先に」と思っていたよりも明るい口調で出て行ったのが救いだった。