あの時・・・・・、青息吐息で富士山に登頂を果たしてすぐに下山し、その日の夜中過ぎに疲れ果てて戻って以来、私は発熱して寝込んでしまった。一週間会社を休み部屋に籠る羽目になり、心配した姉が典子に電話して一部始終を知った。隆司の存在も隆司との旅行だったことも典子は姉に話してしまった。怒った姉は隆司を呼び出すと、

「平気なの?美枝ちゃんのこと、悪いと思わない?」

と精いっぱいの言葉で隆司を詰った。

「まさか遊びじゃないんでしょうね?」

隆司は答えなかった。

 それから一年ほど隆司との関係は続いた。次第に仕事が忙しくなってお互いの時間が思うように取れなくなると、モデルハウスで営業を口実に密会した。二年目の夏、見学時間が終わった後いつものように鍵を閉めてベッドルームで体を合わせたとき、インターホンが鳴った。隆司はベッドの脇の椅子に無造作に脱ぎ捨てた下着とスーツを慌てて身に付け、最後ネクタイで手間取って上着のポケットにねじ込むと、素早く階段を下りドアロックを解除した。営業課長とインテリアの宮路さんだった。私は隣のベッド上に散乱していた服をかき集めたがブラが見当たらず、仕方なしにそのままブラウスとスカートを付けて制服のブレザーを着た。一階のリビング脇の事務室で隆司が課長とあれこれ話している間、、私はベッドメイキングをなんとかやり終えたが、それ以上部屋を取り繕うことはできなかった。そして一階へ降りようとすると、ドアの前に宮路さんが立っていた。彼女は内装部門のチーフだった。

「何してるの、高橋さん・・・・・」

「見学者のお子さんが暴れて乱れてしまったので・・・・・」

「そうですか」

私は精いっぱいの作り話を聞かせ、演技をしたが、乱れた髪とメークを直す暇などなかった。そしてあたりを見回す宮路さんの視線が止まり、その先のサイドテーブルの陰に隆司が強引に剥いだブラが横たわっていた。

 翌日から噂は社内を駆け巡った。テレビドラマのように面と向かって嫌味を言われることはなかったし、仕事中に好奇な視線を感じることもなかったけれど、噂を疑う者など一人もいないと思った。隆司は何食わぬ顔で仕事をした。以前と変わらぬ態度で同僚と雑談し、若い女子社員をからかったりもしていた。だが次第に私のあからさまな批判が耳に届くようになった。夏が終わり、秋風が吹き始める前に、私は退職して隆司と別れた。それは医師から十週目を告げられた直後だった。

 三時半にルカフェを飛び出し、本降りの雨の中運動公園の駐車場で車を止めた。早く冷静さを取り戻したかった。そしてラジオのスイッチを入れようとした時、ワンピースの左の肩口に珈琲の大きな染みが付いているのに気が付いた。ハンカチを雨で濡らして染み抜きをしようと何度も押しあてたけど、思うように抜けなくてますます気持ちが高ぶった。

「姉と隆司が・・・・・何それ、馬鹿みたい!」

もしも自分が冷静なら、そして他人事なら、滑稽な話と聞き流せるかもしれない。でも・・・妹と二年間付き合い妊娠までさせた年下の隆司と付き合う姉、寝物語のように家出した母の話を隆司にする姉、私の前で何食わぬ顔で振る舞う姉、妻子がいるのに姉に手を出す隆司、姉から聞き出した母の話を口実に別れた妹を呼び出す隆司、いつ、どこで、どんな格好で母の話なんか・・・・・現実と想像が入り混じり、フラッシュバックしてますます私を混乱させた。 

 六時過ぎに戻ると父は頬がこけ、白髪混じりの無精髭と乱れた髪のまま、黙って食卓に座り気のない表情でテレビを見ていた。姉とは顔を会わせたくないと思った。隆司のことは私にとっては過去だけど、姉にとっては今そのものなのだ。これから隆司の影を姉妹の間で引き摺らねばならないと思うと気が重かったし、何よりも母の家出を隆司に話している姉の気持ちが許せなかった。

「美枝ちゃん、何処へ行ってたの?」

普段通りの態度で話しかけてくる姉の神経がきつかった。

「何処でもいいじゃない。それよりお母さんのこと、何かわかった?」

「いま、警察が探してくれてるよ」

「そんなんでいいの?もっと真剣に探してみなくていいの?」

「美枝ちゃんだって探してないじゃない」

そんな姉妹の会話に父が割り込んだ。

「お前たち・・・・・」

そしてすぐにまた黙り込んでしまった。

 父は退職後、僅かな退職金と暮らすにはとても足りそうにない年金で、母の面倒を見て過ごした。私は八年間一人暮らしをしていたから、ほとんど父を話す機会が持てなかったが、去年実家に戻った時、「父は変わってないな」と思った。二十五歳の時に岩手から就職のために埼玉に来て以来、二、三度転職した後は地元の運送会社でトラックドライバーとして三十年以上黙々と勤めた。そして体力が衰えてきて倉庫勤務を始めた頃から、母の鬱は酷くなりはじめた。母は時折パートの仕事もしたが、ほとんどは家事と子育てに明け暮れた。その単調な生活が母には苦痛だったのかもしれないと思った。父は長距離には乗らなかったが、しばしば深夜の帰宅になるほど不規則な勤務で、その割には薄給だった。姉は高校卒業後地元の製造業に事務として就職し、私は二年間、専門学校の秘書コースへ進んだ。隆司との事があって退職し、気分を変えるためにと一人暮らしを言い出した時、父に「自分の力でやるなら」と念を押されたが、帰ってその言葉で気が楽になった。家を出て八年間、私は自由に暮らし、その間実家の事情などほとんど気にかけることはなかった。
 父と姉妹の、重苦しい雰囲気の夕食を終えるとそれぞれが自室に引きこもった。