(ドスン、ドスン、ガシャーン)

テーブルを叩き、食器が床に落ちて割れた。

「ああああっ!何よ!どうしてここにあるの!やめてよ!」

またか、と思った。暑さと湿気が無意識のうちに母の気分を逆なでるのかもしれない。昨日、一日中降り続いた雨はすっかり上がって、早朝から晩夏の日差しが照りつけ、むせかえるような陽気となっていた。その日も出かける予定はなかったから、怠惰に時間を費やすだけの休日になりかけていた。

 どうでもよい些細な変化が、母にとっては激情を噴出させるきっかけになる。実家に戻って一年以上になるけれど、決まって週末になると母は荒々しくなった。何かのきっかけで一度気分が撥ねてしまうと歯止めが効かなくなる。大声で叫び、泣いて、手元にあるものを手当たり次第に投げつける。父は、五十年近く連れ添ったとはいえ、そんな母を見放しているようだった。父が何を言っても何をしても、荒れ狂う波濤を鎮めるためには、ただ時が流れるのを待つより他になかった。粗ぶる母に対し、父は表情を曇らせることもなく、日々の決まり事をこなすように淡々と向かい合うのが常だった。この日は十五分ほどで物音も収まり凪になった。頃合いを見計らって階段を下りると、父が散乱した食器や割れたグラスの破片を片付けていた。父の表情は思ったよりも穏やかだった。

「大丈夫?お母さんは?」

「出て言ったかな」

台所から庭に目をやるが母の姿はなかった。硬い日差しが二筋、サッシュ越しに床を照りつけていた。

「暑いね」

「ああ」

「良くならないね」

食器棚の扉に飛び散った味噌汁、床に落ちた鮭の切り身、ころころと廊下の手前に転がった梅干し。飛び散ったグラスの破片が床の上でキラキラと輝いていた。

「私やるから」

「ああ、頼む」

日焼けした肌を覆う幾筋の皺と白髪混じりの短髪。背を丸めながら、破片を拾い集めている父に、それ以外掛ける言葉は見当たらなかった。私は、躁と鬱を繰り返す母の行動を、病気と分っていても受け入れられずにいた。深入りすることなく微妙な距離を保ちながら、「私にはあまり関係のない夫婦の問題」と突き放すタイミングを計っていた。そう思うことでしか、一緒に暮らしてゆく気持ちを保てないと思った。けれど、いつも父の姿がその気持ちを遮った。

ちょうど昼時の番組が終わった。

 

 夕食は父が育てた茄子を煮浸しにして、父と母には鯖の切り身を焼き、姉と私は冷凍物のハンバーグで済ませた。母は何事もなかったような明るい表情で好物の茗荷の味噌汁を作ったが、用意が整う段になって冷蔵庫の梅干しが見当たらないとあちこち探し始めた。

「お母さん、もういいよ、梅干しは。はやく食べようよ」

「良くないでしょ」

一瞬、母の語気が荒くなり、悪寒が走る。

「なかったらご飯食べれないでしょ」

そう言いながら母はキッチンの吊り戸棚や冷蔵庫の上を探し始めた。

「探してよ、梅干し。佳代ちゃんが何処かに仕舞ったんでしょ」

「・・・・・」

姉は無視するようにテレビから視線を反らさない。私はご飯をよそってテーブルに並べ終わると席に着き、「いただきます!」と努めて明るく振る舞った。父は缶ビールをグラスに注ぎながら煮浸しを摘む。母は誰も関心を持ってくれないことを悟ると、ようやく席に着いた。この晩はありふれた家族の、ありふれた夕食の風景がいつもの速さで流れた。


 
 毎朝七時三十五分のバスに乗り、渋滞を掻い潜りながらノロノロと走り、二十分ほどで市役所前に辿り着く。古びた市庁舎の横に少しだけ新しいけれど味気のない合同庁舎があって、二階と三階に商工会議所はあった。実家に戻ってからとりあえず遊んでいるわけにも行かず、派遣登録をし紹介を待った。七月に入るとじきに梅雨が明け、内陸特有の酷暑が始まった。耐えきれぬ暑さが数日間続き、本格的な夏の到来を感じた頃、「商工会議所で地域振興券を取り扱う仕事」を紹介された。取りたててキャリアを必要とする業務ではなく、数日間の研修後いたって気楽に職場に入り込めた。