不定冠詞

今 薫(こんかおる:灘株太郎)書き下ろし連載小説

技量がないから完全なフィクションはなかなか書けません。この「不定冠詞」というのは、数年前に某小説誌の新人賞に応募した時の作品を、余りにも酷い出来だったので加筆して掲載したもので、もちろん賞などには全く縁遠いものです。けれども、人生でもっとも苦しかった時の小説で、中年男性の自分が女性を書けるものなんだろうか?というテーマで、真剣に書いた記憶があります。

内容は親しかった知人女性から聞いた話をもとにしていて、大筋では実話です。こういうものは、書いていて事実に必ず負けるんです。ともすれば、事実は「つくりもの」に見える。だから書き手はきっと、あまりにも突飛な内容を避けようとするわけです。そうすればするほど、詰まらないものになってしまう・・・・。個人的にはそういう思いがあって、だから結局、懸命にトレースするように書くしかないわけですよね。

短編よりも長くて長編ではなくて、原稿量としては400字120枚ほどなので、簡単に読めちゃう量です。だから、粗もすぐに目につく(苦笑)
こういう書きものは最初は本当に大変で、何度もチャレンジするわけですが、最後までなかなか書ききれないんですよ。けれど、性懲りもなく書いているうちに徐々に(最後まで)書けるようになってきました。プロではないので、あくまでも趣味なんですが、それでも趣味であるからこそ、そこそこ書けないと意味がない。そんなこと、思ってます。

お読みいただけたら、是非、ここに感想でも書きこんでやってください。よろしくお願いします。

                               今 薫 

 

 秋元がタクシーを止めて運転手に過剰な五千円を支払い、酔った私を命麺屋近くの薄暗い通りに面したホテルに連れ込み、「少し休みましょう」と言ってベッドに横たえるのを私はじっと観察していた。私は十分に酔っていたし、酔いが回って満足に歩くことも出来なかったけれど、酔い潰れてはいない。けれど、酔い潰れた女の姿を想像しながら、演技をしているように振る舞った。今夜は気のいい秋元と一緒に居ることが心地よかったし、可能なら秋元に自分の身の上を晒して軽やかにいなして欲しかった。

 ベッドで横になっていると眠気が漂い始め、油断すると意識が落ちそうになる。秋元はソファーでビールを飲みながらテレビを観ていた。

「うぅぅぅ、ここ何処?」と目覚めたふりをして眠気を払った。

「高橋さん、ちょっと飲み過ぎたね」

秋元は私の手を握りながら顔を覗いた。

「私、こんなところにいるんだ?」

と意地悪な言い回しを咄嗟に投げた。秋元は私の肩に手を回して、

「帰れないんだろう?」

と言うと、ゆっくりと唇を押しつけてきた。

酒臭い息と煙草の味がする濁った唾液が私を追い詰める。息をとめながら拒むことなくその唾液を受け入れた。秋元はナメクジのように私の体に唇を這わせ、ゆっくりとまさぐりながら私を開く。その間私は天井の薄汚れたルームライトを見つめ、徐々に遠くなる意識の中で、隆司にモデルハウスのベッドルームで奪われた遠い記憶が蘇り、婦人科の分娩台の忌まわしいシーンを思い浮かべた。

 目を閉じて、いつでもそうであったように、身を任せてしまう自分が嫌でたまらなかったけれど、決して抗うことはなかった。そして秋元が入ってきたら、何もかもが私の中で意味を失った。秋元が私の中で蠢くほどに、自分を失ってゆく気がした。決して望んでいるわけではないのに・・・・・。

「こうして自ら堕ちてしまう私を、山科は許してくれるだろうか」

そう思った瞬間に秋元の動きが止まり、私の中で後ろめたさが一気に膨れ上がった。

 

 実家の横の、父が家庭菜園にしている畑の前で、秋元の乗ったタクシーを見送ったのは深夜二時過ぎだった。見上げると二階の姉の部屋にはまだ明かりが灯っていた。私はその場で立ちすくみ、震える手で山科にメールした。

 

(一人になります 美枝)

 

送信した瞬間に何もかもが終わりを告げた。私は、僅かに残っていた自らの意思で過去と、そして今を消去したかった。母も家を出た時、きっとそういう気持ちだったのだろうと思った。

薄手のコートの脇から容赦なく寒気が入り込んで冷え切った体を引き摺ってバス停に向かって歩きだした。真夜中にバスなど走っているはずはない。けれども私は、母と同じようにバス停に向かって歩きたかったのだ。街灯のない薄暗い通りを歩き、里芋畑の横に差し掛かったとき、メールが着信した。

 

(君が望むなら)

 

また山科に救われたと思った。



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